家族で支えてきた我が家の養鶏経営

鈴鹿市の清水 秀樹さん(昭和39年生まれ)を紹介します。
 

清水さん就農への道

 我が家は、県下でも有数の採卵鶏農場の密集地域にあります。
 幼い頃から鶏に接する機会が多い環境で育ったので、子供の頃から家の手伝いをしていたような記憶もあります。高校では養鶏とか農業の勉強をしたかったのですが、そういったコースを取れる学校がなく普通科で勉強しました。高校の頃も休みの日には家の手伝いをしていましたので、その頃から労働力の一人として数えられていたのかもしれません。周囲の同じ境遇の仲間たちも就農する中で、私は長男でもあり高校卒業と同時に、自然に家の仕事に就きました。
 鶏のことや養鶏についての知識は、就農してから父親に学んでいくことになりました。
 就農直後に、鈴鹿市農業青少年クラブに入り、他の農業分野の人とも交流が生まれました。当時交流のあった人の中には、現在でも鶏糞を使ってくれるお茶屋さんや植木屋さんがいます。
 就農して数年も経つと父親の代わりに地域の養鶏仲間と会合に顔を出すようになり、同年代の仲間たちと鶏に関係する情報交換をしあったり、一緒にゴルフに興じたりということもするようになりました。

経営の概要

 現在の成鶏平均羽数は、約60,000羽です。初生ひなを導入し自家育スウしています。ひなに係る経費削減の意味合いもありますが、自家育スウすることにより衛生面でも安心できることや、やはり自分の好みにあった鶏を育てたいという気持ちがあります。しかし、思うような良い鶏を育てることは難しく、毎回の入スウも勉強の連続だと思っています。
 鶏卵の販売のうち正卵については、基本的には問屋への出荷のみとなっています。二級品については、だし巻き卵の材料として販売したり、自販機で販売もしています。お客様からは、新鮮な卵を安く買えるということで、評判は良いと感じています。
 生産する卵の半分は赤玉卵で、これは「大地のめぐみ」という商品名で差別化して一般市場で販売されています。パックには、私の写真や農場名も明記されていますので、機会があればぜひお買い求め下さい。

順調に規模拡大ができました

 就農時の我が家の経営規模は成鶏30,000羽でしたが、その後、徐々に「低床式鶏舎」で規模拡大をしてきました。建て替えながらですから急な規模拡大はできませんでしたが、約40,000羽規模になりました。
 平成3年からは、それまでの低床式鶏舎を「高床式鶏舎」に建て替え始めました。平成3年、4年、9年には高床式鶏舎を平成12年には育成舎を建て替えました。この育成舎と平成16年に一番新しく建設した鶏舎はウィンドウレス鶏舎にしました。ウィンドウレス鶏舎を選択したのは、周辺の住宅への臭気を主とする環境面での配慮や鶏舎内環境管理の点からです。鶏舎から搬出される鶏糞は十分に乾燥された状態で出てくるので、堆肥化処理に係る労力は軽減されています。ただし、高床式鶏舎との違いは、搬出された鶏糞については即日片付けていく必要があるので、総労働時間は短くなっても毎日の作業としては、避けることができない部分が生じました。
 借入金返済に行き詰るようなこともなく、順調に規模拡大ができたと思っています。その結果、現在では約60,000羽規模となりました。
 機械化などの施設改善は、収益の増加の目的もありますが、先に述べたように労力の軽減もその目標のひとつです。しかし、実際には羽数規模が大きくなっただけは、やはり労力は必要となり、いわゆるイタチごっこ状態に入ってしまいました。

今後は定期的な休日も必要だと思います

 畜産を始めとして、農業分野では休日の必要性が課題になっていますが、実は、私も定期的な休日を取っていません。近在の同業仲間とゴルフに出かけることはありますが、1週間に1日とかいった具合には、休日を確保していません。
 基本的には家族4人(両親と姉、私)の労力でやってきました。姉は卵中心の作業を担当しており、家族の中でも一番の働き者で感謝していますが、やはり定期的な休みというものを取っていません。今までは問題なく対応できてきた労働構成でしたが、今後、この点について真剣に考えなければならない時期を迎えることになると思います。

(H18年1月取材)

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