第28回農山漁村のつどいが開催されました
テーマ [ 農山漁村で「学ぶ」「働く」「暮らす」こと
~つながること、体を動かすことで、「地産地消」をひろげよう~ ]
平成28年2月2日(火曜日)
三重県総合文化センター

 今回のテーマは、〔農山漁村で「学ぶ」「働く」「暮らす」こと ~つながること、体を動かすことで、「地産地消」をひろげよう~〕でした。
 生産者と消費者、農山漁村住民と都市住民などの立場の違う人々が「食」や「しごと」を通して互いの立場に思いを致し、垣根をなくし、強換するための方法を学ぶことにより、担い手が増え安定した経営を実現できるようなさまざまな取り組みが生まれ、男女ともにかがやく「新しい豊かさ」のある農山漁村を創っていこうという趣旨で開催されました。
 農林水産物の紹介 
昼食時を利用して販売される農林水産物について、生産者等によりPRがありました。畜産物については、津市久居の大西畜産(大西京子さん)から「頑固おやじの豚」について、紹介がありました。
 昼食時の販売では、各部位のパック商品やハム・ウィンナー等の加工品が用意されましたが、好評により完売することができました。

 事例発表 
 
体を動かして「学ぶ」「働く」「暮らす」をテーマに事例発表があり、畜産の事例として、いなべ市の養豚経営「松葉ピッグファーム」の松葉崇道さんから発表がありました。
 学生時代には、教員を目指したこともありました。
 就職に当たっては、「お金」を大きなポイントと考えていた頃であり、大手不動産会社に就職しましたが、実力至上主義であり、ノルマが課せられる職場でした。先輩の仕事ぶりを見ると休みもなく連日の残業続きであり、将来の自分の姿を想像すると不安を感じました。
 その頃、実家では弟が養豚業を継いでおり、母が小規模な直販に取り組んだところでした。
 家族に相談のうえ、就農することを決意。就業する前に精肉店で肉の事について学び、基礎知識を身に付けたものの、当時はまだ直販量は伸びておらず、時間が余るような感覚でした。
 平成25年末までは、自宅敷地内の小さな食肉加工所でしたが、いなべ市市街地に移転し、加工品の販売にも着手し、販売量は順調に伸びていきました。
 当ミートセンター(職場)は女性が活躍する場であり、女性の視点から気づくことがあり、どうすれば豚肉の販売に結びついていくかといったことも、女性からの意見で、豚肉の良さを知ってもらうためにもいろいろな食べ方を提案していくこともポイントだと考えています。
 地域の皆さんとは、地産地消というステージの交流があります。交流の場は食育であったり、異業種との交流。
 今後の計画(夢)としては、レストランを開店し、同施設内で食育の情報を提供できるようになればと考えています。
 地域では、幅広い仲間たちと開催しているイベントが好評であり、ネットワークの拡大にも役立っていると思います。
 美味しい豚肉を販売できることについて、両親や弟たちに感謝しています。


 NPO法人マザーズライフサポーターの伊藤理恵さんからは、子育て中のママの支援について事例報告がありました。
 自身も6歳を筆頭とした3児の母であり、幼い子を持つ女性が職場で働くには、職場や他の社員に対して遠慮しなければならない場面が多々あり、こういった場面を回避するために、当NPOではグループを編成し、グループの中で、交代して働けるようなシステムを構築するに至りました。
 視線を農業に移すと、繁忙期には人手が不足しており、人手を求めていることを知りました。
 農業に就くことで、一方では、農産物栽培に係る手間(作業)に理解をすることができるようにもなりました。


 第3部では、NPO法人東北開墾の代表理事として活動中の髙橋博之さんからその取り組みについて事例報告がありました。
 自身の姉が重度の障害者であったことから、幼いころから「命」についてよく考えていました。
 岩手県花巻市で生まれ育ち。「こんな田舎には何もない。」と思い18歳のとき東京へ出たものの、いざ東京で暮らしてみると、故郷のよいところにも気が付き、故郷へ戻りました。
 花巻市で東日本大震災を経験。津波で全ての物を失った人たちにとって震災後に大切だったものは、命、水、食べ物、助け合う心でした。被災地へボランティアに来た都市部の人は、生まれて初めて普段自分たちが食べている食べ物の生産者である農家や漁師と出会い、今まで考えたことのなかった生産者の思いを知ることにより、その食べ物はいつも食べているものよりおいしいと感じました。
 これをきっかけに、生産者の思いと一緒に作物を届ける「東北食べる通信」で、農家さんたちの作ったものに価値をつけて売る活動を始めました。
 消費者は生産者の思いに共感すると、参加したくなります。食べる通信で紹介された生産者と消費者は、SNSなどで繋がり、実際に東北を訪れ、一緒に農作業や漁業をさせてもらう人がでてきました。
 これまでは、生産者の地位は低かったのですが、この関係が対等になっていくには、「食べる通信」のような活動が必要だと思います。「食べる通信」は、この2年間で26か所まで広がりました。東北から日本を変えていくために、これからもこの活動を続けていきたいと思っています。