牛肉食の歴史からみていきましょう
  
6世紀に仏教の伝来
(それ以前は肉食の跡)
殺生禁止の教え
から獣肉食は敬遠
 
キリスト教の布教 一部地域で
肉食
江戸時代の鎖国   再び敬遠 薬膳食として一部の人に食された
一部開国  外国人への
牛肉供給
・・・牛肉が足りない!
      品川高輪の東禅寺門前に
日本人が初めて牛肉店を開設 
     
 明治「文明開化」   庶民にも牛肉食が急速に普及 牛鍋屋が乱立
    牛鍋・・・ぶつ切り牛肉とネギのみ
    
 今では牛肉は普通に食べられていますが、6世紀に仏教が伝来してから、動物の殺生が禁じられ、牛、豚、鹿などの獣肉は、表向きにはその肉を食することは敬遠されていました。しかし、中には食されていたような場合もあり、隠語というかたちで「イノシシ」の肉は「ボタン」、「シカ」は「モミジ」、「ウマ」は「さくら」と表現されていました。
 一方、キリスト教の布教が始まった地域では牛肉が振る舞われていた記録があります。江戸時代に鎖国が始まり、再び敬遠されるようになりましたが、薬膳食として一部の身分の高い武士に食されていたようです。
  
  
  
 
  
  
  
  
 
 
 1859年には、一部開国されたことから、牛肉の需要が高まり、日本人向けに品川高輪の東禅寺門前に牛肉店が開設されました。

 その後、明治を迎えると「文明開化」の名の下に、急速に牛肉食が普及し、牛肉とネギを鉄鍋で焼く、いわゆる「牛鍋」をふるまう店が多数出店されました。

 当時は、現在のすき焼きのように割下は使わず、ぼたん鍋風に味噌仕立てにしていたようです。

最初は「牛鍋」という名で普及していきましたが、関東大震災(1911年)以後、関西風の「すき焼き」という呼び名が定着し、家庭料理としてもてなされるようになったとのことです。