■東京への売り込み大作戦!
  
 東京での牛肉の需要拡大を受け、獣医師である「山路徳三郎」は東京への売り込みを計画し、農家に肉牛の生産を勧めるとともに、東京へ牛を歩かせながら出荷しました。

 伊勢の玉城町を出発点とし、一回に約百数十頭を約20日間かけ、牛を歩かせながら行進しました。それは「牛追い道中」と称されました。この道中は明治5年から30年までほぼ隔月で繰り返され、松阪地域の肉牛の評判を高めることになりました。
 

1877年(明治10年) 先発隊:10数頭、第2隊:50~60頭、第3隊:50~60頭
  
  
  
 
 
  
  
  
   
 
 出発点である玉城町の「山路」宅では、現在でも牛追いの碑が建てられています。

 ちなみに牛追い隊は3部隊に分かれ、隊列は200mにも及んだようです。

  隊の編成
  ・先発隊・・・6名
  ・第2、3隊・・・50名以上

 道中では人間の食料だけではなく、牛の食料も必要です。1日1頭あたり約2㎏確保したとのことであり、そうすると6トン、牛10頭分もの量になります。

  所持物
  ・牛のえさとして「ふすま」
  ・3升(約2kg)/日/頭
   2kg×20日×150頭=なんと6トン!!
牛追いの碑

玉城町日向の「山路」宅にて
 
   
 ~松阪肉牛共進会の始まりから現在まで~
 
 松阪牛は兵庫の牛(但馬牛)を素牛としていましたが、以前から兵庫の牛、特に雌牛の肉質の評価は高く、他の産地の牛と比較するとかなりの価格差がつけられていました。

 明治42年には、松阪公園で肉牛の品評会が開催されましたが、出品牛50頭はすべて但馬産の未経産雌牛であり、品質のよい肉牛との評判が広まりました。 

 この品評会は、その先開催される「松阪肉牛共進会」の始まりとなるものでした。

 後にも開催された共進会でも、他の産地とも競争する中で上位の成績をおさめ、ますます松阪牛の評判を高めることになりました。
  
1909年(明治42年) 
肉牛品評会開催(松阪公園)・・・松阪肉牛共進会の始まり
     
1923年(大正12年) 近畿2府5県連合
畜産共進会で上位の成績 
    松阪牛の
評価アップ
↑↑
 
1935年(昭和10年) 
全国肉用畜産博覧会で最高の「名誉賞」を獲得
      
1949年(昭和24年)
第1回松阪肉牛共進会開催
飯南郡花岡町大黒田(現松阪市大黒田町)
1958年(昭和33年)
「松阪肉牛協会」創設・・・松阪牛の定義設定 
松阪の出荷業者と東京の食肉業者で組織
      
1989年(平成元年)
第40回松阪肉牛共進会で4,952万円の高値で落札
     
2002年(平成14年)
第53回松阪肉牛共進会で史上最高額 5,000万円
    
2003年(平成15年) 松阪牛の定義変更    
   
2004年(平成16年)    
共進会を松阪農業公園ベルファームに移設  
      
2007年(平成19年) 松阪牛協議会設立
松阪牛生産者と生産区域内市町村で組織
 
2024年(令和6年) 第73回松阪肉牛共進会
   
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